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GION GOZUとは

店名の由来

2020年にCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)が世界中で大流行しました。

日本でも緊急事態宣言が発せられ、国民の生活は一気に様変わりしました。友人や大切な人達に会えない、学校に行かれない、仕事を失う、入院中の家族に会えない、感染した家族の死に目に会えないなど、各個人が社会の変化に対して大きな負担を背負うことになりました。

しかし、人間はそれでも、より良い明日に向け頑張り続けます。

そんな頑張るみなさまのために、災いを退け、ひとときの贅沢時間をご提供できればという想いから、祇園の町に愛されてきた祇園ぷりんが「GION GOZU」として生まれ変わりました。

GION GOZUの店名は牛頭天王に由来します。

牛頭天王は、京都の八坂神社の祭神であり、祇園天神とも称され、平安時代から行疫神として崇め信じられてきました。御霊信仰の影響から当初は御霊を鎮めるために祭り、やがて平安末期には疫病神を鎮め退散させるために花笠や山鉾を出して市中を練り歩いて鎮祭するようになり、これが京都の祇園祭の起源となりました。

牛頭天王の逸話は日本中にいくつも語り継がれていますが、その中から1つを紹介します。

牛頭天王の逸話

牛頭天王の本地仏(正体)は薬師如来です。

薬師如来は十二の大願を発し、須彌山中腹にある「豊饒国」の武答天王の一人息子として姿をあらわしました。

太子は、七歳にして身長が七尺五寸あり(約230cm)、三尺(約90cm)の牛の頭をもち、また、三尺の赤い角もありました。

太子は王位を継承して牛頭天王を名乗りますが、后を迎えようとするものの、その姿の恐ろしさから近寄ろうとする女の人がいませんでした。そのため、牛頭天王は酒びたりの毎日を送るようになりました。

三人の公卿が天王の気持ちをなぐさめようと山野に狩りに連れ出しますが、そのとき人間のことばを話すことができる一羽の山鳩があらわれました。山鳩は、大海に住む沙掲羅龍王(しゃかつらりゅうおう、八大龍王の一人)の娘のもとへ案内すると言います。

そこで、牛頭天王はその娘をめとるための旅に出かけました。

旅の途中、牛頭天王はある村で長者である弟の巨端将来(こたんしょうらい)に宿所を求めましたが、ケチで欲深い巨端将来はこれを断りました。それに対し、貧乏な兄の蘇民将来は牛頭天王を歓待して宿を貸し、粟飯を振舞いました。蘇民将来の親切に感じ入った牛頭天王は、願いごとがすべてかなう牛玉という珠を蘇民将来に授け、のちに蘇民将来は富貴の人となりました。

さて、龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙掲羅龍王の三女の頗梨采女(はりさいじょ)をめとり、八年をそこで過ごし、その間に七男一女の王子(八王子、八将神)をもうけました。

時は経ち、豊饒国への帰路、牛頭天王は八万四千の眷属を差向け、巨端将来への復讐を図りました。巨端将来は千人もの僧を集め、大般若経を七日七晩にわたって読誦させましたが、法師のひとりが居眠りしたために失敗し、巨端将来の眷属五千余はことごとく蹴り殺されました。この殺戮のなかで、牛頭天王は巨端将来の妻だけを蘇民将来の娘であるために助命しました。その際、「茅の輪をつくって、赤絹の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との護符を付ければ、末代までも災難を逃れることができる」と除災の法を教示しました。

『祇園牛頭天王御縁起』より